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制御拠点・スクリーニング領域 前仲勝実先生にインタビューしました

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2015年9月14日取材

先生が今のお仕事を始められるまでのことを教えていただけますか。

 私は大学4年生の時に工学部で、バイオ系の三浦謹一郎先生のラボにたまたま進学したんです。もともと、モノを作るのは好きで、ぼやっと何かモノを作りたいという気持ちがありました。その時の研究室選びで、実は有機合成とどちらにするか悩んだんですよ。当時にはすでに合成でもバイオミメティックな領域というのがあって、そういう合成の研究室に行くか、タンパク質をいじる研究室に行くかということで悩んで、たまたま一番最初にタンパク質の方のラボに行ったのです。

研究生活に入られていかがでしたか?

 最初はタンパク質がたくさん取れるのが面白かったですね。二十何年か前には、まだ遺伝子ではミューテーションをかけるので一生懸命だったですね。そして最初1年ほどNMRをやったのです。私はリゾチームという簡単でシンプルなものをやっていたので、NMRの結果を取るのも、結晶を取るのも、比較的難しくなかったのです。
 マスターの時には、当時のボスの熊谷泉先生が、「外に行ってもいいよ」って行かせてくれたので、当時蛋白工学研究所の森川耿右先生の研究室の松島正明先生のところに出入りするようになりました。私は実家が大阪なので、東大でモノを作って、いろんなファンクションを調べたりして、ある程度タンパク質が取れたなと思ったら、実家に帰りがてら、大阪の吹田にある蛋白工学研究所に寄って、結晶化して、結晶化を仕掛けたら、前回結晶化しておいたもののデータを取って、みたいなことをやっていましたね。作ったミュータントを一回NMRで測るんですよ。データを取ったら、NMRは非破壊測定なので、それを大阪に持って行って結晶化してX線のデータを取るという、二つのデータを取るということをやっていました。
 その頃から免疫系に興味を持って、それが今の研究のメインなんですが、それをやりたいなっていうのがずっとあったんですよね。私が4年生からマスター位のころにMHC(主要組織適合性抗原)やHLA(ヒト白血球抗原、ヒトのMHCにあたる)の構造が解けて、Natureにどんどん出ていた時代で、すごく面白いと思っていたのですね。
 それで、たまたま日本赤十字の血液センターの十字猛夫先生の所に出入りするようになったのです。リゾチームもまあ、自然免疫の一つなので、もう少し免疫的な方に行ったという感じでしょうか。それでHLAを研究し始めて、たまたま自分がやっていたnatural killer細胞(NK細胞)の表面受容体が、そのHLAを認識するということがわかった時で、その受容体をやらせてもらっていました。ちょうどその頃、オックスフォード大学にHLAの構造決定をやっているDavid I. Stuart先生と Yvonne Jones先生がいて、たまたまある時、その先生方が東京に来ていたのです。そして、その先生方を東京に呼んだ先生が、日赤の先生の近いお知り合いということで、私はそのセミナーに行ってお話を聞くことができました。そこで、「あっ、これは一緒にやればいい研究になるのではないか」と思って、それで共同研究をしたいと言ったのです。

先生のお話しには,たまたまということが多いですね。

 そういうことが多いですね。当時は若かったからでしょうね。共同研究したいって、英語も殆どしゃべれないそんな時でもそうお願いできたのですね。そうしたら早く来いって言われたんです。そこから行き来が始まって、最終的には留学して、その時にオックスフォード大学で、受容体とHLA の構造解析を勉強して、論文書いたりしていました。それが今もずっと続いている。オックスフォードから帰ってから、遺伝研と九大と今は北大なんですけど、基本的には日赤とオックスフォードで始めた仕事がベースにありますね。後は九大時代に柳雄介先生という医学部の先生が麻疹ウイルスをされていて、構造解析をしないかと言われて、そこからウイルスの研究も始まったんですよ。何かこれ不思議なんですけれど、世界的にみると、HLA・MHCの構造生物学をやっていた先生はほとんど必ずウイルスの研究をしているんですね。免疫と感染は表と裏じゃないですか。

原因と結果のような。

 そうです。その時、2004年か5年くらいからウイルスのことも始めて、今はウイルスと免疫の仕事が大体半々くらいになっていますね。それで、今の制御拠点はですね、2010年に北大に移ってすぐに、私が、構造生物学とか分子レベルでの免疫科学ができるということで、化合物ライブラリー拠点事業でどういう設備を入れるかという選定から関わることになったのです。

構造をやっていらして何でライブラリー拠点なのだろうと思ったのですが。

 また、たまたまなんですけど、私が移ったところに、北大でライブラリーをやるということが始まったところで、私が生化学の分野で入ってくださいということでコアメンバーに入ったのです。それで、機器の選定とか、結構意見を聞いてもらって、それが今に至るのです。化合物のスクリーニングだと、弱い結合が多いので、まずは表面プラズモン共鳴解析(SPR:Surface Plasmon Resonance)ですね。後は最適化でヒットが出たときにその化合物がどのようにくっついているかを物理化学的に調べるために等温滴定カロリメトリー(ITC:Isothermal Titration Calorimetry)と示差走査熱量計(DSC:Differential scanning calorimetry)をフルセットでオートのシステムで入れたのですね。それが今、いろいろなステージが出てくるときになってくるとよかったなあと思いますね。

最初からオートマチック化ですか。

 はい。最初から、ユーザーが何人も出入りすることを想定して、できるだけユーザーのミスが機械に及ぼさないような形のものということを大前提にしたのです。SPR、ITC、DSCは三種の神器みたいなものなんですね。当時結構無理をして買いました。

それぞれの研究室でそろえるのはメインテナンスを含めて大変ですね。

 はい、そうです。幸いその時に入れて、創薬センターというのが立ち上がって、その翌年からプラットフォーム事業が始まった。私は創薬センターのセンター長で、その後プラットフォーム事業の課題管理者にもなったのですが、その時には、私は化合物ライブラリースクリーニングなんてやったことがないですから(笑)、どうやるのか、みたいなことをいろいろ勉強しながらでした。その後には、今私のところの准教授で中外製薬のOBの堺谷政弘先生に、プラットフォーム事業が始まってちょうど1年たったくらいのところで加わっていただきました。その段階で、いわゆるMedicinal Chemistryのところはプロが来て、私の方はその間に少しずつスクリーニングとは何かみたいなことを勉強しながら(笑)少しずつ慣れてきたんです。

もともとやりたいという気持ちがおありだったのですね。

 はい。学生の時に、タンパク工学とか化合物のバイオミメティックということを目指したのも、結局何か役立つものというか、面白いものを作りたいということがあった。そういう意味でいうと、免疫系の受容体とかウイルスの研究をしてきたことから、それらをコントロールできるものをやりたいと。ところが、当時、私がこの立場にいなかったら、少なくとも化合物ライブラリースクリーニングにアクセスできるなんていうことはあり得ない。どんなふうになるか見てみたいということで、実際に少しずつ始めていく中で、何かそれなりに出てくるのだということがわかってきた。それで、少しずつ、ステージ、ステージで足りないものをプラットフォーム事業の中からお金を使って機器を買ったり、ライブラリーの方もちょっと調整したりして、そういうのを集めていく中で、勉強しながら良くしていったという感じですね。

一番面白いところを、ちゃんとスキップせずにやってきたという感じでしょうか。

 そうですね。それは大体なんとなくストーリーはわかっていても、やはり全然知らないところからスタートしていたので、勉強しながら。北大は組織だってやっているのです。センターというものをつくって、センターを中心に動きます。そこにはプラットフォーム事業の方からかかわっている人も結構いるので、そうすると創薬のミッションで、みんながバラバラに動くのではなく、一つの方向に動く。方針として、そこで働く人がいないとミッションは進まないというのがあって、そういう意味でいうと、消耗品費を少し抑えながら、人の雇用に力を入れる。もちろんそれにはその人たちのキャリア形成というのがのちの課題として大きくあるのですが、そのあたりも、どういう風にしていけばいいかということがちょっとずつわかってきた。

お話しを伺っていて、先生はスーパーバイザーとしてだけではなく、ご自身が中に入っていろいろなことをやりながら、そこから新しいものを取り込んでいかれているように受け取られたのですが。

 私自身が、もともと興味があるので、支援の部分で、話を聞いて相当勉強になるのです。それで、全然関係のないような話を並列に聞くとですね、いろいろなアイデアがでるように思います。それで、自分の研究にもフィードバックが効くようなことがあって、「あっ、そういう風にするのか」とかですね。そういう意味では、実は支援をしていることで自分自身のいわゆるサイエンティストとしてのピュアなテーマに関してもフィードバックがありますね。今までにないアイデアがいっぱい出る。ライブラリー拠点ですと大概のところは合成もしていると思うのですけれども、うちのスクリーニング拠点の中にも合成するグループが入っているのです。そうすると、今まで私がタンパク工学で構造生物学をやっていた時には、合成はちょっと遠い世界だったのですが、最適化とかをやっていく中でぐっと近くなりましたね。今まででしたら、コントロールするものを作ろうとするときには遺伝子で何かする、たとえばタグをつけるとかいうアイデアしか出なかったのに、合成の観点から、こういうものが合成できるかといった相談ができたりして。それで自分たちの視野が圧倒的に広がりましたね。それに私のところの学生さんにとっては、こういう環境にいると、タンパク質を作って、合成して、というのが何ら不思議ではないのですね。私たちは学問として分けていますけれど、垣根を下げようというより、それが横並びにあって、やりたければ、合成したものを細胞系でアッセイするということを全部自分でできる。私は、能力があればやれ、と言っているのですが、それは若い人にとってはチャンスですね。

他人の手を介して結果だけを見るよりも、やっていることの面白さを実感できますね。

 そうなんです。それはこういう環境だからこそできることだと思います。

そういう環境を作ることができた。

 まあ、幸いに整ってきたと思います。まともに機械が動くようになってから結局実質2年半、3年たっていないのですが、先ほどお話ししましたが、4-5年前にライブラリースクリーニング拠点の何もない部屋に、まず機械を入れて、プラットフォーム事業が始まってようやく運営がスタートして、スタッフが実際にそろい始めたのが更に半年以上遅れたので、そう考えると2年半とか、3年弱で実際動くまですごく早いですね。不思議なくらいですね。うまく回ったと思います。後は、たまたまになりますが、いい人が来てくれたので。そういう人たちが来てくれないと回らない。うちは拠点としてよかったのは、いろいろな分野の研究者を集めることができたこと。メンバーの中には製薬OBの人が二人いるのですが、そういう専門家の話をきちんと聞ける機会が多く、それが日常なので、そのような環境の中で、どれがプロフェッショナルな創薬なのかということがある程度反映される組織となって、そういう方々に仕事を任せることができるようになりました。もちろんそういう中には製薬企業のやり方はこうだけど、アカデミアはこうだという具合に対立するものもある。やはり教育面ではそういう対立面がいっぱいあるのですね。企業は結果が第一で、一つのミッションでいかに多くの収益を上げるかが目標、ということになりますが、アカデミアは学生の教育が基本なので、そのあたりで対立したりします。トップでどうするかという問題はいまだにあります。ただ、ぶつかるということが、それもかなり異文化がぶつかるという意味で、いい刺激になっていると思います。そんなにきれいに融合できているわけではないですが、これまで大学にはなかったことが起きている。そういうことがこのプロジェクトでできるようになっていることが、大学の教員にとってもプラスだと思います。やはり、我々大学の者は外の社会を知らずにいる。そういう点で異文化交流というのは、いまだにいろいろとありますが、それでもその点はいいかなあ、と。

そうしますと、先生はこのプラットフォーム事業のプロジェクトと良いタイミングで出会ったということでしょうか。

 私は、先ほどもお話ししましたけれど、何か作りたいというので、たまたま免疫とか感染症の流れから来て、それをコントロールできるものというので、一つの方法の流れとしてやはり今のライブラリースクリーニングがある。この公的ライブラリーというのは今までなかったんですね。大学でやりたいといっても、企業は絶対にライブラリーを出さない。あなたの系をくださいというだけで、それで「だめでした」という風で(笑)。アカデミアの良さというのは、本人が諦めるというまではずっと続けられるというのが一番なんです。アカデミアは、お金も限られているので、前に進むのは遅いと思いますが、やめないというのがやはりいいのだと思いますね。利益度外視のプロジェクトでも、アカデミアであれば、自分の興味があれば続けることができるので、そういう点で、きちっとやっていけば、中で良いものも出るのではないかと思います。

お話は変わりますが、支援と高度化というのをどのようにお考えですか。

 制御拠点の難しいのは、支援ということと高度化ということの線引きをするのはかなり難しい、ということです。支援という名目でやり始めても、我々がやるとなると高度化ということになるので。一番のミッションの薬の実用化ということになってくると、支援としてちょろちょろやっていくだけでは進まないので、かなり真剣度の高い場合は、一緒になってできる限りのことをやります。支援というよりは一緒の協力体制でやらないと。互いに密にやり取りしないといけない。薬の方向もそうですけど、同時にかかわっている先生方のことを考えると論文のこととかありますから、一つ一つの課題がかなり重い。機器を使ってもらうという場合もありますが、それ以外はかなりしっかりやらないといけない。それは支援というのか高度化というのか。スクリーニングをするのもそれ自体結構大変なんですね。スクリーニングっていうのもSN比が小さくてもON, OFFをつけていかなければならない。スクリーニングの結果で切る切らないということ自体、スクリーニングをやったことがない先生にはかなりコミットしなければならないケースの方が多いので。そこを乗り越えると全然スピードが違うんですよね。でもやっぱり基本的にはそういうことまで付き合える先生とやらない限り有効な支援にはならない。そういうことが始まると、ヒトの付き合いっていうのが始まるので、自分の研究っていうか、逆の相談もできたりするんですよね。そういう人のつながりっていうのが、単なる提供だけで、紙ベースだけの付き合いっていうのではなかなか発展しないと思うんですけど。我々もお願いするようなことが生まれてくる。学生さんとかスタッフの人に必ずいうのは、やると決めたらとことんあるレベルまではやりなさい。簡単にやめるようなことだったら最初かららないように、と言っています。最後までやるぞっていう気持ちのものでないと。?

支援といったときに支援をする側はエネルギーや時間を取られるというマイナス面を伺うことがあるのですが、先生の場合はそういうお話が出てきませんね。

 そうですね。我々は、たとえば私のプロジェクトやセンターのスタッフが取り組んでいるセンター独自でやっているプロジェクトがあります。そこはサイエンスベースも結構考えてやっている。そういうところが軸になる。もう一つは制御拠点では、ニーズがあったらそれをできるだけ聞く。探索ということでいろいろな話を聞けます。それはセミナーを聞いているようなもので、そういう意味で結構面白い話が聞けるのです。「だからそういうふうにしたいんだ」とか。もちろん差はありますね。本当に創薬に近いレベルから、ちょっと待って、というものまで。プロジェクトによって本当に成熟度が違うのですが、総じていうと、みなさん研究は面白いと思ってやっているので、それは割に楽しく聞けますね。その中で、本当に創薬に結び付けられるかというのを、プロフェッショナルな方が入ってくれているので、中には、時によるのですが、北大病院臨床研究開発センターの職員の人も入ってブレインストーミングミーティングというのをやっているのですが、そのミーティングをするとその場で特許が出ているとかといったことを調べて、どう攻めるかというところまで行くことがあります。そういうプロフェッショナルなケースもあるし、「ちょっとそこは抑えて、でもこういう観点で行きますか」という時もある。それと、北大の創薬センターという観点でいうと、一つは低分子ライブラリーで、もう一つは高分子でバイオ医薬もやっているんです。バイオ医薬というと、細胞表面のものであれば抗体医薬ということになる。その戦略ごとで、ライブラリーをするか、抗体をするかということになります。

低分子と抗体を同列に扱うことになるのですね。

 そうです。薬を作るためだけのライブラリーというのもあるのですが、抗体などですとADC(antibody drug conjugate)というのもある。私がやっているタンパク質を作る領域ですと、タンパク質にいろいろなものをつけてみて、タンパク質の精製を良くするとかですね、そのようなことをやったりもするので、スタッフとの交流という、専門家の間の交流が重要で、それが新しいものを生む土壌になるかなと思いますね。それと、私は免疫の受容体というのをやっていますが、今、免疫チェックポイントという抗体が非常に注目されています。PD-1 (Programmed cell death 1)抗体とかですね。そういうものはどの細胞表面の受容体もターゲットになる可能性があって、私たちはたまたまそういうものをやっているので、もうすでに全世界でやっているとは思うのですが、片っ端から抗体を作って特徴のある抗体が作れないかということもやっています。そこに、もう少しサイエンティフィックな面も入れなければということで、構造をベースとして、抗体の特異性を上げるとかアフィニティーを上げるために構造形成をするとか、そういうこともやっています。このプロジェクトに入っているお蔭でもあるのですが、センターの中に機械も一通りあるので、あれをするのにあちらに行って、これをするのにこちらに行ってというのではなく、やろうと思えばセンター内で何でもできます。機器の利用という観点からもよく回っていると思います。

先生は工学部から薬学部に移られたのですね。

 かなり珍しいのかもしれませんね。ただ、まあ創薬するときにタンパク質を介さないということは今の時代ほとんどないので、そういう意味でいうと、タンパク質を使って何かハンドリングするというときに、免疫とか感染症をやっていたので、自然と医学とか薬学に行った。自然と目の前にあるものを取っていくほうなので、あまり考えていないのか(笑)。

遠くに何をみていらっしゃるのでしょう。

 同じやるのであったら、最終的にはヒトの役に立ちたいというのがありますね。でも他のものに興味がないかというとそういうのではない。ただ、全体の傾向としては、同じやるんだったら、新しいというか自分でしかできないオリジナリティが高い役に立つものが作りたいっていうのは、お薬かもしれませんしそうでないかもしれませんけど、そういったことは変わっていない。割に早い時期に構造生物学に入ったので、見ることの重要性というのは強く感じていますね。合理的に考えてデザインするというときに、そこに見るというステップがいるっていうことを割に早い時に経験できたのが大きいです。ぼやっとこんなんじゃないかっていうのではなくて、スナップショットではあっても構造が見えていると、全然情報量が違ってきます。よく言いますよね、1次元のアミノ酸配列のままでは何も理解できないって。でも構造決定を自分自身でやるかということにはそれほどこだわっていないんです。構造がでていないんだったら自分でやるけど、すでに誰か解いていてそれを使えるんだったらそれでもかまわない、という発想なので。それも学生さんにはそう言っています。自分で構造が解けてかつ見れる人だったら理想的かもしれないけれど、プロジェクトによっては構造はすでに解かれていることがあるので、その構造はちゃんと見ましょうって。構造を見て自分のウエットな実験に生かすということは常々言っていますね。

役に立つものを作ることを目指しながら、その基本にアカデミックなサイエンスのあることとそこへの情熱を、お話をおうかがいしてよくわかりました。今日は貴重なお話をありがとうございました。

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